奈良県無形文化遺産アーカイブ

「奈良晒の紡織技術」

「麻の最上は南都なり。染て色よく着てみにまとわず汗をはじく故に世に奈良晒とて調宝するなり」(『日本山海名物絵図』宝暦4 年)と云われたように、奈良晒は、全国的な名声を獲得した。はじめ都市における手工業として出発した奈良晒も次第に農村へと広がり、農村における副業となったが、他国布の進出により、享保以降衰退にむかい、明治維新期の武士階級の没落により決定的な打撃を受けた。しかし、その後も月ヶ瀬、田原を中心とする東山中において細々と生産が続けられ、現在にいたっている。奈良晒の工程は、多少の用具の考案を除いて、江戸中期よりほとんど変化しておらず、大きく苧うみ・織布・晒の3工程に分けられる。各工程には入念な種々の手仕事を必要とするが、特に経糸を細く苧み撚りをかける作業は難しく、長年の熟練を必要とする。

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